2024年に世界遺産に登録されたラヴノのヴェトレニツァ洞窟(Vjetrenica Cave, Ravno)。その神秘的な魅力と豊かな生態系が評価されました。本記事では、この洞窟の概要と、どのような価値が認められて世界遺産となったのかを解説します。洞窟の歴史や保護活動の現状も合わせてご紹介します。

ラヴノのヴィエトレニツァ洞窟とは

洞窟の地理的位置

ヴェトレニツァ洞窟は、ボスニア・ヘルツェゴビナの南部に位置するディナルアルプス山脈の一部であり、ポポヴォポリェからアドリア海にかけて広がる地域にあります。この洞窟は、ヘルツェゴビナ・ネレトヴァ州のラヴノ自治体に属し、村ザヴァラの中心から東に約300メートルの場所に入口があります。ディナルアルプスのカルスト地形の一部として、洞窟周辺は多様な自然環境に恵まれています。

洞窟の規模と構造

ヴェトレニツァ洞窟は、全長7,324メートルに及び、ボスニア・ヘルツェゴビナで最も長い洞窟の一つです。洞窟内は複数のレベルで構成されており、メインレベル、アッパーレベル、ロウワーレベル、垂直レベルの4つのレベルに分かれています。メインレベルは洞窟の入口から最奥部までほぼ水平に伸びており、アッパーレベルはメインレベルの上方に120メートルまでの高さに位置する5つの通路で構成されています。ロウワーレベルはメインレベルの約10から30メートル下にあり、垂直レベルは地表から洞窟に続く深い坑道で構成されています。洞窟内には、ヴェリコ・イェゼロ(大湖)など、いくつかの小川や水たまりが点在しており、自然の美しさが広がっています。

洞窟内の生態系と生物多様性

ヴェトレニツァ洞窟は、世界でも有数の洞窟生物多様性のホットスポットとして知られています。洞窟内には、合計231種の生物が記録されており、その内訳は菌類14種、原生生物35種、動物180種です。その中で96種が洞窟に生息する生物であり、多くがこの地域固有の種です。特に、エンドミック(固有種)が多く、ポポヴォポリェにのみ生息する種も多く見られます。洞窟内の水生生物には、世界唯一の地下棲の環形動物であるマリフギア・カヴァティカが含まれます。また、ナンファルガス属の9種が存在し、これは地下生物の単一属多様性の世界最高の例とされています。

このように、ヴェトレニツァ洞窟は、その独自の地理的位置、規模と構造、そして豊かな生態系と生物多様性によって、世界的に重要な自然遺産としての価値を持っています。

ラヴノのヴィエトレニツァ洞窟の歴史

古代からの記録

ヴェトレニツァ洞窟は、古代からその存在が知られていました。最も初期の記録はローマの博物学者プルニウス・セクンドゥス(大プリニウス)による『博物誌』で言及されています。彼は、この洞窟の驚くべき自然の特徴と、その神秘的な環境を詳細に記述しています。洞窟の名は、「風の洞窟」を意味する「ヴェトレニツァ」に由来し、その名の通り、洞窟内で感じられる強い風が特徴的です。この風は、洞窟内外の気圧差によって引き起こされるもので、洞窟の入り口から約8.5メートル毎秒の風が吹き込むことが知られています。

中世および近代の発見

中世には、ヴェトレニツァ洞窟は地元住民や旅行者の間で知られるようになりましたが、科学的な調査や文書化は限られていました。近代に入り、特に19世紀後半から20世紀初頭にかけて、洞窟の探検と研究が進みました。オーストリア=ハンガリー帝国の地理学者や自然科学者たちが洞窟を訪れ、その地質学的および生物学的な重要性を評価しました。彼らの研究は、洞窟内の生物多様性と独特の地形を明らかにし、ヴェトレニツァ洞窟の科学的価値を広めるのに貢献しました。

近年の研究と調査

20世紀後半から現在に至るまで、ヴェトレニツァ洞窟は多くの専門家による継続的な研究と調査の対象となっています。1960年代以降、洞窟内の生物多様性に関する詳細な研究が行われ、特に洞窟生物の新種発見や生態系の理解が深まりました。近年の研究では、ヴェトレニツァ洞窟が世界で最も豊かな洞窟生物多様性の一つであることが確認されました。

また、洞窟の保護と管理に関する努力も続けられています。2000年代初頭からは、洞窟の周囲の地域も含めた広範な保護プログラムが実施され、2017年にはヘルツェゴビナ・ネレトヴァ州によって「保護景観ヴェトレニツァ-ポポヴォポリェ」として正式に保護されるようになりました。さらに、近年の科学的調査では、洞窟内の化石や考古学的遺物の発見もあり、これにより洞窟の歴史的価値も高まっています。

このように、ヴェトレニツァ洞窟は古代から現代に至るまで、絶え間ない関心と研究の対象となり、その科学的および文化的価値はますます明らかになっています。

ラヴノのヴィエトレニツァ洞窟が世界遺産に登録された理由

洞窟の保護と管理

ヴェトレニツァ洞窟の保護と管理は、複数のレベルのガバナンスによって行われています。ボスニア・ヘルツェゴビナの連邦政府、カントン政府、および自治体がそれぞれの役割を果たしており、ヴェトレニツァ公共会社(Vjetrenica Public Company Ltd. Ravno)が管理を統括しています。この管理体制は、洞窟の保全に必要な決定と行動を調整する役割を担っています。

洞窟の保護は長い歴史を持ち、1952年に自然記念物として初めて指定されました。その後、2003年の自然保護法や、2017年のヘルツェゴビナ・ネレトヴァカントンの自然保護法に基づき、保護体制が強化されました。2021年には、保護景観ヴェトレニツァ-ポポヴォポリェがIUCNのカテゴリーV保護景観として指定され、洞窟とその周辺地域の保護が一層進められました。

将来的な保護と管理の課題

ヴェトレニツァ洞窟の将来的な保護と管理には、いくつかの課題があります。まず、洞窟の水質と水流入の長期的な確保が重要です。洞窟の生物多様性は地下水の流入と質に依存しており、水質の悪化や流量の変化は洞窟内の生態系に深刻な影響を及ぼす可能性があります。特に、洞窟内のオルム(Proteus anguinus)などの希少種は水質の変化に非常に敏感です。

また、観光の増加も大きな課題です。観光客の増加は洞窟内の環境に負荷をかける可能性があり、観光管理が不可欠です。現在の管理計画では、1日あたりの訪問者数を240人に制限していますが、この制限が守られない場合、洞窟内の生態系に悪影響を与える恐れがあります。

さらに、資金と人材の確保も重要な課題です。洞窟の保護と管理には、十分な資金と専門的な知識を持ったスタッフが必要です。現在のスタッフ数は限られており、管理計画の実施や洞窟の保護に十分なリソースが提供されていない状況です。

世界遺産委員会の評価と推奨事項

世界遺産委員会は、ヴェトレニツァ洞窟を基準 (x) に基づいて世界遺産に登録することを推奨しました。基準 (x) は、生物多様性の保全において重要な自然の生息地を対象としています。ヴェトレニツァ洞窟は、世界で最も豊かな洞窟生物多様性の一つであり、85種の洞窟生物(トログロバイト)と56種の地下水生物(スティゴバイト)が確認されています。この洞窟は、ナンファルガス属の9種を含む、単一属の多様性の例としても注目されています。

IUCNは、洞窟の保護と管理に関するいくつかの懸念を指摘していますが、補足情報と管理体制の強化が行われれば、基準 (x) を満たすと評価しています。委員会は、以下の推奨事項を提示しました:

  1. 保護景観ヴェトレニツァ-ポポヴォポリェのゾーニングを完了し、長期的な水質と水流入を保証すること。
  2. 洞窟の管理資金とスタッフを増強し、管理計画の実施と長期的な保護に十分なリソースを提供すること。
  3. 将来的に、ディナルアルプス全体を代表する系列トランスナショナル推薦の可能性を検討すること。

これらの推奨事項を実施することで、ヴェトレニツァ洞窟の保護と管理がさらに強化され、その貴重な生態系が持続可能に保たれることが期待されています。

まとめ

ラヴノのヴェトレニツァ洞窟は、その壮大な自然美と豊かな生態系で2024年に世界遺産に登録されました。古代からの記録、中世および近代の発見、そして近年の研究を通じて、その価値が広く認識されています。洞窟の保護と管理が課題となっていますが、適切な対策が講じられれば、その貴重な生態系は今後も維持されるでしょう。

投稿者 伊藤

慶應義塾大学文学部卒業。在学中は西洋史学を専攻し、20世紀におけるアメリカの人種差別問題を題材に卒業論文を執筆。世界遺産検定1級。