ユネスコ世界遺産

アル・ファーウ考古地域の文化的景観(The Cultural Landscape of Al-Faw Archaeological Area)は、2024年に世界遺産に登録されました。本記事では、この地域の文化的景観の概要と、世界遺産としての価値や登録理由について詳しく解説します。歴史と文化の豊かさを知り、その意義を深く理解しましょう。

アル・ファーウ考古地域とは

地理的特徴

アル・ファーウ考古地域は、サウジアラビア南部のエンプティクォーター砂漠とワジド砂岩の露頭、ジャバル・トゥワイック台地および斜面の交差点に位置しています。この地域は、非常に乾燥した砂漠環境に包まれており、自然の厳しい条件が考古学的遺跡の保存に寄与しています。広大な遺跡文化景観は、旧石器時代から5世紀までの数千年にわたる人間の占有と活動の証拠を提供しています。オアシス、石器、墳丘墓、キャラバンサライなど、さまざまな考古学的遺跡が点在し、異なる時代の人々の生活と文化を物語っています。

発見と調査の歴史

アル・ファーウの遺跡は、1936年に初めて発見されました。1949年から1973年にかけて、いくつかの現地訪問と調査が行われ、多くの報告書が発表されました。本格的な発掘は1972年に始まり、その後も継続的に行われています。2019年には、これまでの発掘成果をまとめた七つの報告書が公開されました。発掘作業により、約12,000の考古学的遺跡が発見され、旧石器時代の石器から新石器時代の遺物、紀元前3千年紀から2千年紀にかけての墳丘墓、そして5世紀までのキャラバン都市の遺構が明らかになっています。

アル・ファーウ考古地域の重要性

アル・ファーウ考古地域は、先史時代から5世紀までの長い歴史にわたる人間の活動と文化の証拠を提供しています。この地域の遺跡は、人々がどのようにして厳しい自然環境に適応し、繁栄してきたかを示しています。特に、キャラバン都市カリヤット・アル・ファウは、古代の交易路の重要な拠点であり、南アラビア、紅海、イエメン、北アラビア、地中海世界、メソポタミア、ペルシアとの間での文化的交流を証明しています。さらに、この地域の保存状態の良さと、多様な考古学的証拠は、人類史の理解に大きく貢献しています。アル・ファーウ考古地域の文化的景観は、地球規模での文化財の保護と理解において非常に重要な役割を果たしています。

アル・ファーウの歴史

旧石器時代と新石器時代

アル・ファーウ考古地域には、旧石器時代と新石器時代の人々が使用した石器が多数見つかっています。旧石器時代のフリント製の道具は、削り器、彫刻刀、刃、矢じりなどがあり、重いパティナ(表面風化)が特徴です。これらの道具は、ジャバル・トゥワイック台地の斜面やその周辺で発見され、初期人類がこの地域で狩猟や採集を行っていたことを示しています。新石器時代に入ると、さらに洗練された石器が作られ、初期の農耕社会の痕跡も見られます。この時期には、豊富な水資源と肥沃な土地を利用して、定住生活が始まったと考えられます。

原史時代の居住

紀元前3千年紀から2千年紀にかけて、アル・ファーウ地域は重要な居住地となりました。この時期には、墳丘墓や円形構造物が建設され、これらは地域の住民が死者を埋葬し、宗教的儀式を行った場所であったことを示唆しています。墳丘墓は、地域内の特定の場所に集中しており、集団の重要な人物や長老が埋葬された可能性があります。また、テーパー構造と呼ばれる独特の三角形の石積みも見られ、これらは祭壇や監視塔として使用されたと考えられます。原史時代の遺物は、この地域が長期間にわたって人々にとって重要な居住地であったことを物語っています。

紀元前1千年紀中期からのキャラバン都市の発展

紀元前1千年紀中期になると、アル・ファーウは主要なキャラバン都市として発展しました。この都市は、南アラビアから中央および東アラビアに至る重要な交易路上に位置し、様々な文化や交易品が交わる場所となりました。アル・ファーウは、特にナジュラーンからアラビア半島中央部へと続くキャラバンルートの中継地として繁栄しました。市内には商業地区、住宅地、宗教施設、要塞などがあり、多文化的な都市景観を形成していました。アル・ファーウの都市構造とその遺跡は、この時期の経済活動と社会構造を明確に示しています。

キンダ王国とその崩壊

2世紀から3世紀にかけて、アル・ファーウはキンダ王国の首都となりました。キンダ王国は、アラビア半島の中央部を支配した強力な部族連合であり、アル・ファーウはその政治的、経済的中心地として重要な役割を果たしました。この時期、都市はさらに発展し、自前の貨幣を鋳造することもありました。しかし、5世紀になると、気候変動と政治的混乱が相まって、キンダ王国は崩壊し、アル・ファーウは次第に衰退しました。水資源の枯渇と交易路の変化が都市の放棄を促進したと考えられます。

5世紀以降の放棄と再発見

5世紀にアル・ファーウが放棄された後、この地域は数百年にわたって無人のままでした。砂漠の過酷な環境が遺跡の保存に寄与し、その後の人間活動による破壊を防ぎました。1936年に初めて再発見され、その後の数十年間で多数の発掘調査が行われました。これらの調査により、アル・ファーウの重要な考古学的価値が明らかになり、2022年にはユネスコの世界遺産暫定リストに登録されました。アル・ファーウ考古地域は、先史時代からイスラム前期までの長い歴史と文化を保存する貴重な遺産として認識されています。

アル・ファーウ考古地域の文化的景観が世界遺産に登録された理由

世界遺産登録基準(ii)の適用

アル・ファーウ考古地域は、紀元前1千年紀中期から5世紀にかけて、南アラビア、紅海、イエメン、北アラビア、地中海世界、メソポタミア、ペルシアなど、多くの異なる文化圏との交流の場として重要な役割を果たしてきました。この地域には、キャラバン都市カリヤット・アル・ファウがあり、交易路の交差点として繁栄しました。アル・ファーウには、異なる文化や価値観が交わり、交流する場としての多くの考古学的遺物が残されています。これらの遺物は、砂漠の部族と交易グループの間での影響と文化的交流を具体的に示しており、人類の歴史における重要な文化的交流の一例として評価されています。

世界遺産登録基準(v)の適用

アル・ファーウ考古地域は、伝統的な人間居住および土地利用の顕著な例として認識されています。この地域の多様な考古学的遺跡は、人々が数千年にわたり厳しい自然環境に適応し、生活してきた証拠を提供しています。旧石器時代から新石器時代、さらに原史時代の墳丘墓や円形構造、キャラバン都市カリヤット・アル・ファウの遺跡まで、多くの遺物が発見されており、これらは人間の居住と土地利用の進化を示しています。また、気候変動の影響下での人間の脆弱性と適応の様子も明らかにしており、人類の持続可能な生活様式の一例として評価されています。

完全性と真正性の条件

アル・ファーウ考古地域は、保存状態の良さと完全性において特筆されます。約12,000の考古学的遺跡が広範囲にわたって発見されており、それらは旧石器時代から5世紀までの連続した人間活動を示しています。砂漠の過酷な環境が遺跡の保存に寄与し、遺跡は人間活動による破壊から守られてきました。また、遺跡はその自然環境とともに保存されており、景観の完全性も保たれています。これにより、アル・ファーウの文化的景観はその歴史的価値を完全に伝えることができます。

保存および管理の対策

アル・ファーウ考古地域の保存および管理は、サウジアラビアの文化遺産委員会と国家野生生物センターによって統括されています。両機関は、共同管理フレームワークを確立し、文化遺産と自然遺産の保全を調整しています。また、管理計画には、遺産影響評価、保存対策、訪問者管理、地域社会の参加などが含まれています。保存活動は、考古学的遺跡の発掘、保存、復元を行い、最新の技術を用いて遺跡の状態を監視しています。これにより、遺跡の長期的な保存と持続可能な管理が確保されています。

地域社会の関与と将来的な展望

地域社会は、アル・ファーウ考古地域の保護と管理に積極的に関与しています。地元のベドウィンコミュニティは、遺跡の保護において重要な役割を果たし、部族法が景観を守る一助となっています。地域社会のリーダーは、提案された物件の境界設定や保護計画に参加しており、遺産の価値とその重要性を理解しています。将来的には、地域社会の関与をさらに深めるための取り組みが進められ、観光資源としての活用や教育プログラムの開発が計画されています。これにより、アル・ファーウ考古地域は地域社会にとっての誇りとなり、持続可能な発展に寄与することが期待されています。

まとめ

アル・ファーウ考古地域は、旧石器時代から5世紀までの人類の歴史と文化を豊かに保存しています。世界遺産に登録された理由は、異文化交流の証拠と伝統的な人間の適応能力を示す遺跡の重要性にあります。この地域の保護と地域社会の関与により、未来の世代にその価値が継承されます。

投稿者 伊藤

慶應義塾大学文学部卒業。在学中は西洋史学を専攻し、20世紀におけるアメリカの人種差別問題を題材に卒業論文を執筆。世界遺産検定1級。