ユネスコ世界遺産

ウンム・アルジマール( Umm Al-Jimāl )はヨルダン北部に位置する歴史的農村集落で、2024年に世界遺産に登録されました。この地域は、ビザンチンおよび初期イスラム時代の建築遺構や革新的な水収集システムを保存しており、その文化的価値が高く評価されています。この記事では、ウンム・アルジマールの概要と世界遺産登録の理由を詳しく解説します。

ウンム・アルジマールとは

ウンム・アルジマールの概要

ウンム・アルジマールは、北ヨルダンに位置する歴史的な農村集落です。この集落は、5世紀頃にローマ時代の集落跡に自然発生的に発展し、8世紀まで続きました。集落の建築は主に玄武岩で作られ、家庭用および宗教的な建物が多くを占めています。ビザンチンおよび初期イスラム時代の建築物が保存されており、ハウラン地域の地元様式を代表する例となっています。また、いくつかの初期ローマ帝国の軍事建築物が再利用され、後の住民によって町の一部として組み込まれています。

地理的位置とアクセス

ウンム・アルジマールは、ヨルダンのマフラク県にある新ウム・アルジマール自治体に位置しています。この地域は、南シリアから北ヨルダンに広がるハウラン台地の一部であり、豊かな歴史的遺産を持つ地域です。アクセスは比較的容易で、主要な道路網を通じて近隣の都市や観光地から訪れることができます。現地には観光客向けの施設や案内所も整備されており、訪問者は歴史的遺跡を巡るツアーやガイドサービスを利用することができます。

現代のウンム・アルジマール

現代のウンム・アルジマールは、歴史的遺産と現代生活が共存する地域です。遺跡の一部は現在も地元住民によって利用されており、また観光客向けの保存活動が行われています。1972年にサイトが囲まれた後、現代の町がその周りに発展しました。現地の住民は、農業や家畜飼育を続けながら、遺跡の保存と観光開発に協力しています。近年では、観光施設の整備やガイドツアーの提供など、地域経済の活性化にも力を入れています。現代のウンム・アルジマールは、過去と現在が融合した独特の文化的景観を提供しており、訪れる人々に豊かな歴史と文化を感じさせる場所となっています。

ウンム・アルジマールの歴史

ナバテア王国時代のウンム・アルジマール

ウンム・アルジマールの歴史は、1世紀にナバテア王国の一部として始まります。ナバテア王国は、紅海からヨルダン、シリアまで広がる強力な交易王国であり、その支配下でウンム・アルジマールは重要な交易拠点となりました。この時期の遺構は、集落の南東部に位置する「初期の村」として知られるエリアで発見されています。この地域は、ナバテアの影響を受けた建築様式や農業技術を特徴としており、地域の経済的および文化的発展の基盤を築きました。

ローマ帝国時代の発展

2世紀にローマ帝国がナバテア王国の領土を併合し、アラビア属州として統治を始めると、ウンム・アルジマールは新たな発展の時期を迎えました。ローマ人はこの地に大規模な町を建設し、帝国の軍事的および行政的中心地として機能させました。この時期に建設された代表的な構造物には、西門、プレトリウム(行政庁舎)、町の壁の一部、および水貯蔵池があります。これらの建物は、ローマの建築技術と地元の建築資材である玄武岩を組み合わせたもので、ウンム・アルジマールの町の基盤を形成しました。

ビザンチンおよび初期イスラム時代の集落

5世紀から8世紀にかけて、ウンム・アルジマールはビザンチン帝国および初期イスラム時代の集落として繁栄しました。この時期には、地元の建築様式を反映した玄武岩の建物が多数建設されました。町は石の壁で囲まれ、五つの門が設けられ、三つの近隣に多階建ての住宅が配置されました。また、16の教会が建設され、そのうち六つは独立しており、十は住宅複合施設内にありました。イスラム時代には、住宅の部屋がモスクに改装され、ミナレットが追加されるなど、宗教的な変化も見られました。この時期、ローマ帝国時代の建物が再利用され、ビザンチンおよびイスラムの建築に統合されました。

ウンム・アルジマールの衰退と再発見

8世紀以降、ウンム・アルジマールは環境的、政治的、経済的な要因により次第に放棄されていきました。主要な交易ルートが変わり、地域の経済が衰退したためです。その後、集落は遊牧民や巡礼者の一時的な避難所として時折使用されるようになりました。19世紀および20世紀には、一部の建物がドルーズ人やマスエイド・ベドウィン共同体によって再占拠されました。20世紀初頭に考古学的な関心が高まり、1956年から発掘調査が開始され、ウム・アルジマールの歴史的価値が再発見されました。

現代における再利用と保護活動

1972年にウム・アルジマールは公式に保護地域として指定され、遺跡の保存および再利用が進められるようになりました。現代のウンム・アルジマールでは、遺跡の保存活動が積極的に行われ、観光施設の整備も進んでいます。地元のコミュニティは観光ガイドや考古学的発掘に参加し、地域の経済発展に寄与しています。2016年には大聖堂の修復が完了し、また2019年からは水収集システムの再活性化が進められています。これらの活動により、ウム・アルジマールは歴史的遺産としての価値を維持しつつ、現代社会との共存を図っています。

ウンム・アルジマールが世界遺産に登録された理由

地元建築様式の保存

ウンム・アルジマールは、ハウラン地域特有の建築様式を顕著に保存していることが評価されています。町の建物は主に地元の玄武岩を使用して建てられており、そのデザインと建設技術は地域の建築伝統を反映しています。多くの建物は複数階建てで、狭い石の階段やアーチ型の窓などの特徴があります。これらの建築物は、ビザンチンおよび初期イスラム時代の農村集落の典型を示しており、その保存状態が良好であるため、地元の建築技術の継承と発展を示す重要な証拠となっています。

ハウラン文化の象徴

ウンム・アルジマールは、ハウラン文化の象徴的な存在として評価されています。ハウラン地域は、南シリアから北ヨルダンに広がる広大な台地で、その文化は農業と牧畜を基盤としています。ウンム・アルジマールの住民は、地元の伝統と技術を活用し、過酷な環境で生活を維持してきました。町の設計や建築物は、ハウラン文化の社会的価値観や生活様式を反映しており、その文化遺産としての価値が高く評価されています。

水収集システムの革新性

ウンム・アルジマールには、地域の乾燥した環境に適応した革新的な水収集システムが存在しています。このシステムは、集落全体を網羅する複雑なネットワークを形成しており、雨水を効率的に収集し、貯蔵するための多くの貯水池とチャネルを含んでいます。これにより、農業および家畜の飼育に必要な水を確保し、住民の生活を支えてきました。この水収集システムは、ハウラン地域の他の集落にも見られるが、ウンム・アルジマールでは最も完全かつ保存状態が良好な例とされています。

社会文化的変化への適応

ウンム・アルジマールの歴史は、多くの社会文化的変化に適応してきた例を示しています。町はナバテア王国時代からローマ帝国、ビザンチン帝国、そしてイスラム時代を経て発展してきました。それぞれの時代において、住民は新しい統治者や宗教に適応しながらも、自らの文化と伝統を維持してきました。ローマ時代の建物をビザンチン時代に再利用したり、イスラム時代には教会をモスクに改装するなどの事例がその証拠です。これにより、ウンム・アルジマールは地域の歴史的な変遷を物語る重要な場所となっています。

無形文化遺産としての価値

ウンム・アルジマールは、無形文化遺産としても価値を持っています。現地の住民は、伝統的な建築技術や生活様式を守り続けており、その知識や技術は世代を超えて受け継がれています。また、地元の伝統行事や慣習も今日まで続けられており、地域の文化的アイデンティティの重要な要素となっています。これにより、ウンム・アルジマールは、物質的な遺構だけでなく、無形の文化的価値も併せ持つ貴重な遺産とされています。

まとめ

ウンム・アルジマールは、ヨルダン北部の歴史的農村集落で、ビザンチンおよび初期イスラム時代の建築や水収集システムが評価され、2024年に世界遺産に登録されました。この記事を通じて、その概要と、建築様式や文化的価値、革新的な水システムなど、世界遺産としての登録理由を知ることができます。

投稿者 伊藤

慶應義塾大学文学部卒業。在学中は西洋史学を専攻し、20世紀におけるアメリカの人種差別問題を題材に卒業論文を執筆。世界遺産検定1級。