ルーマニアのトゥルグジウにあるブランクーシ記念モニュメント群が2024年に世界遺産に登録されました。このモニュメント群は、近代彫刻の巨匠コンスタンティン・ブランクーシによる壮大な芸術作品であり、第一次世界大戦の戦没者を追悼する目的で制作されました。本記事では、その概要と世界遺産として認められた理由を分かりやすく解説します。
トゥルグ・ジウのブランクーシ記念モニュメント群とは
ブランクーシ記念モニュメント群の基本概要
トゥルグ・ジウのブランクーシ記念モニュメント群は、ルーマニアの著名な彫刻家コンスタンティン・ブランクーシ(Constantin Brâncuși)によって1937年から1938年にかけて制作された屋外彫刻群です。このモニュメント群は、第一次世界大戦でタルグ・ジウを守るために戦った兵士たちを追悼するために設計されました。
ブランクーシは、従来の戦争記念碑とは異なり、象徴性の高い抽象的な表現を用いて人間の精神性や普遍的なメッセージを込めました。その結果、このモニュメント群は単なる戦争記念碑を超え、20世紀モダニズム彫刻の傑作として評価されています。
どこにある?トゥルグ・ジウの地理とアクセス
トゥルグ・ジウ(Târgu Jiu)は、ルーマニアの南西部に位置し、ゴルジュ県(Gorj County)の県都です。この地域は、ルーマニア南部のオルテニア(Oltenia)地方に属し、カルパティア山脈の南側に位置しています。トゥルグ・ジウはジウ川(Râul Jiu)沿いに広がる都市であり、ルーマニアの首都ブカレストから約300キロメートル西にあります。
モニュメント群を構成する主要な彫刻作品
- 沈黙のテーブル(Masa Tăcerii)
- 椅子の小道(Aleea Scaunelor)
- 接吻の門(Poarta Sărutului)
- 無限の柱(Coloana Infinitului)
トゥルグ・ジウのブランクーシ記念モニュメント群の歴史

1937年〜1938年:コンスタンティン・ブランクーシによる制作背景
ブランクーシはフランス・パリを拠点に活躍していましたが、ルーマニア出身の彼は祖国の歴史や文化に強い関心を持っていました。ナショナル・ウーマンズ・リーグの会長であり、当時の首相の妻であったアレシア・タタレスクの依頼により、このモニュメント群の制作が決定されました。
第一次世界大戦との関係:戦没者追悼の目的
このモニュメント群は、1916年のトゥルグ・ジウの戦いにおいて命を落とした兵士たちの記憶を讃えるために制作されました。この戦いでは、多くの市民や兵士が勇敢に戦い、ジウ川の橋を守るために犠牲となりました。
コミュニスト時代の影響と修復プロジェクト
1947年以降の共産主義政権下で、ブランクーシの作品は長らく軽視されました。1950年代には無限の柱が撤去される危機もありましたが、最終的には撤去を免れました。1980年代以降、修復プロジェクトが進められ、2000年から2004年にかけて大規模な修復が実施されました。
21世紀における保存活動と観光資源としての発展
2000年代に入ると、世界的な芸術作品としての価値が再評価され、観光資源としての活用も進められました。現在では、ルーマニア国内外から多くの観光客が訪れ、ブランクーシの芸術を鑑賞しています。
トゥルグ・ジウのブランクーシ記念モニュメント群が登録基準(i)(ii)で世界遺産に登録された理由
登録基準(i):人類の創造的才能を表す傑作
近代彫刻の巨匠ブランクーシの芸術性
ブランクーシは、伝統的な具象彫刻から脱却し、抽象彫刻の先駆者として20世紀の彫刻芸術に多大な影響を与えました。
彫刻・建築・都市計画が融合した革新的なデザイン
彼の作品は単なる彫刻作品ではなく、都市景観の一部として設計されており、20世紀の公共芸術の新たな形式を確立しました。
登録基準(ii):文化的価値の交流と影響
古代文明から現代美術へとつながる芸術的影響
ブランクーシの作品には、ルーマニアの民俗芸術、アフリカ美術、キクラデス文明の影響が見られます。
20世紀の公共芸術やランドアートへの影響
彼の作品は後のランドアートや環境芸術の先駆けとなり、現代のアートシーンに大きな影響を与えました。
世界遺産としての価値と今後の課題
保護と修復活動の重要性
世界遺産としての認定を受けたことで、今後も適切な修復と保存が求められます。都市開発と文化遺産の保護を両立させることが課題となっています。
観光と持続可能な活用方法
観光客の増加により、モニュメント群の保存と持続可能な観光開発が重要な課題となっています。ルーマニア政府や地方自治体は、保護と活用のバランスを取るための施策を進めています。
まとめ
トゥルグ・ジウのブランクーシ記念モニュメント群は、抽象彫刻の先駆者ブランクーシが創り上げた20世紀モダニズムの傑作です。戦没者追悼の目的で制作され、都市景観と融合した革新的なデザインが評価され、2024年に世界遺産に登録されました。今後も適切な保護と持続可能な観光活用が求められ、文化遺産としての価値を後世に伝えていくことが重要です。