ゲディの旧市街と考古遺跡

2024年に世界遺産に登録されたゲディの旧市街と考古遺跡( The Historic Town and Archaeological Site of Gedi )について、歴史的背景やその価値を簡潔に紹介します。この概要を読むことで、ゲディがなぜ世界遺産として評価されたのか、その理由を理解することができます。

ゲディの旧市街と考古遺跡とは

ゲディの位置と概要

ゲディは、ケニアのキリフィ郡に位置する古代のスワヒリ都市です。インド洋の海岸線から約6.5キロメートル内陸に位置し、周囲を緑豊かな沿岸森林に囲まれています。ゲディは10世紀から17世紀にかけて栄えた都市で、特に12世紀から15世紀にかけての「黄金時代」にその繁栄を極めました。この都市は、その後17世紀に放棄されましたが、その遺構は現在でも見られ、スワヒリ建築と都市計画の特徴をよく保存しています。

スワヒリ建築と都市計画の特徴

ゲディの建築は、サンゴ石、サンゴと土のモルタル、木材などの地元の素材を使用して構築されています。建物のファサード、彫刻された入り口、鴨居の碑文には、アラビア半島、南アジア、アフリカからの影響が見られます。ゲディの都市計画は、内城壁と外城壁によって明確に区分されており、内城壁内には裕福な住民のための大規模な住宅、モスク、宮殿、墓が配置されています。外城壁内には、中層階級の住居と農地が広がっています。さらに、ゲディには高度な水管理システムが存在し、住宅内のトイレや井戸、沈んだ中庭などがその証拠です。

ゲディの文化的および貿易的な役割

ゲディは、東アフリカ沿岸の最も重要なスワヒリ都市の一つであり、インド洋を越えた貿易と文化交流の中心地でした。ゲディは、アフリカ沿岸の中心地とペルシア、インド、ヴェネツィアなどを結ぶ貿易ネットワークの一部として機能していました。ゲディで発見された中国、ペルシア、インド、ヴェネツィアからの贅沢品は、この都市が国際的な貿易ネットワークの重要なハブであったことを示しています。また、ゲディはイスラム教の伝播にも関与しており、多くのモスクやイスラム教の墓が建てられました。このように、ゲディは地域的および国際的な文化と貿易の交流の場として重要な役割を果たしていました。

ゲディの旧市街と考古遺跡の歴史

ゲディの起源と発展

ゲディの起源は10世紀に遡り、東アフリカ沿岸の重要なスワヒリ都市として発展しました。この都市は、インド洋を越えた貿易と文化交流の中心地として栄え、アフリカ沿岸の他の都市と同様に、アラビア、ペルシア、インドからの影響を受けながら成長しました。地元の材料であるサンゴ石や木材を使用して建設されたゲディは、その独自の建築様式と都市計画で知られるようになりました。内城壁と外城壁によって区分されたこの都市は、豊かな商人や地主の居住地として繁栄し、その高度な水管理システムや市民インフラが都市の成長を支えました。

ゲディの黄金時代(12世紀から15世紀)

12世紀から15世紀にかけて、ゲディはその最盛期を迎えました。この期間は、スワヒリ文明の「黄金時代」として知られており、ゲディはその中心的な役割を果たしました。ゲディは、東アフリカ沿岸の他のスワヒリ都市とともに、インド洋を越えた貿易ネットワークの一部として大いに繁栄しました。この時期、ゲディは多くの贅沢品や貿易品を取り扱い、中国、ペルシア、インド、ヴェネツィアなどから輸入された陶磁器や宝飾品が都市の繁栄を象徴しました。また、ゲディはイスラム教の伝播にも貢献し、多くのモスクやイスラム教の墓が建設され、宗教的な中心地としての役割も果たしました。

ゲディの放棄とその影響

ゲディは17世紀に突然放棄されました。この放棄の理由は完全には解明されていませんが、戦争、病気、貿易ルートの変化などが原因とされています。都市が放棄されたことにより、ゲディの建物やインフラはそのまま保存され、今日に至っています。この放棄は、ゲディがスワヒリ建築と都市計画の特徴をよく保存したまま残る結果となりました。ゲディの遺跡は、当時のスワヒリ都市の生活と文化を知るための貴重な資料となっています。

現代におけるゲディの研究と保存活動

現代において、ゲディの遺跡は重要な考古学的研究の対象となっています。1920年代から考古学的調査が行われており、多くの発掘と研究が続けられています。ゲディの遺跡はケニア国立博物館(NMK)によって保護され、定期的なモニタリングとメンテナンスが行われています。保存活動には、植生の管理や構造物の修復が含まれており、伝統的な建材と方法を用いて行われています。また、地元コミュニティとの協力も進められており、ゲディの歴史的価値を次世代に伝えるための教育プログラムや観光活動も展開されています。ゲディの研究と保存活動は、スワヒリ文化と歴史の理解を深める重要な役割を果たしています。

ゲディの旧市街と考古遺跡が世界遺産に登録された理由

歴史的および文化的価値

ゲディの旧市街と考古遺跡は、その歴史的および文化的価値から世界遺産に登録されました。

スワヒリ文明への貢献

ゲディは、スワヒリ文明の発展に大きく寄与しました。スワヒリ文化は、アラビア、ペルシア、インドなどからの影響を受けつつ、独自の文化を形成しました。ゲディは、この文化の中心地として、建築、宗教、商業などさまざまな面で重要な役割を果たしました。

国際貿易ネットワークの一部としての役割

ゲディは、インド洋を越えた広範な貿易ネットワークの重要なハブとして機能していました。中国、ペルシア、インド、ヴェネツィアなどからの贅沢品が取引され、この都市は国際貿易の中心地として繁栄しました。これにより、ゲディは東アフリカ沿岸と他地域との文化交流の橋渡し役を果たしました。

建築および都市計画の独自性

ゲディの建築および都市計画の独自性も、世界遺産登録の重要な理由となっています。

内城壁と外城壁の構造

ゲディの都市計画は、内城壁と外城壁によって明確に区分されており、内城壁内には裕福な住民のための大規模な住宅や公共建築が、外城壁内には中層階級の住居と農地が広がっています。この構造は、社会的階層と空間の使い分けを反映しています。

水管理システムとインフラストラクチャ

ゲディには高度な水管理システムが存在し、住宅内のトイレや井戸、沈んだ中庭などがその証拠です。これらのインフラは、都市生活の質を向上させ、ゲディの住民が高い生活水準を享受していたことを示しています。

地元コミュニティとの関係と精神的意義

ゲディは、地元コミュニティにとっても重要な場所です。現在でも、アラブおよびスワヒリのコミュニティからの人々がモスクでの儀式的な祈りを行うために訪れることがあります。また、伝統的なハーバリストも薬草を採取するためにゲディを訪れます。これにより、ゲディは地域の文化的および精神的な中心地としての役割を果たし続けています。

完全性と真正性の評価

ゲディの完全性と真正性も、世界遺産としての価値を高める要素です。

保存状態と管理の取り組み

ゲディの構造物は概して良好な保存状態にあり、ケニア国立博物館(NMK)によって定期的なモニタリングとメンテナンスが行われています。植生の管理や構造物の修復などの保存活動は、伝統的な建材と方法を用いて行われています。

法的保護と管理システムの強化

ゲディは、1927年から法的保護を受けており、現在では国家博物館および遺産法によって保護されています。また、地元および国家レベルでの法的保護と管理システムが強化されており、ゲディの遺産価値を保護し続けるための取り組みが進められています。

これらの要素が組み合わさることで、ゲディの旧市街と考古遺跡は世界遺産としての顕著な普遍的価値を持ち、その保護と保存が重要であると認識されています。

まとめ

ゲディの旧市街と考古遺跡は、その歴史的および文化的価値、独自の建築と都市計画、地元コミュニティとの関係、そして完全性と真正性が評価され、2024年に世界遺産に登録されました。ゲディの遺産を通じて、スワヒリ文明の豊かな歴史と国際貿易の重要性を理解することができます。

投稿者 伊藤

慶應義塾大学文学部卒業。在学中は西洋史学を専攻し、20世紀におけるアメリカの人種差別問題を題材に卒業論文を執筆。世界遺産検定1級。